大航海時代で世界が狭くなると、ヨーロッパの社会経済の仕組みは大きく変わりました。イギリス東インド会社がインド貿易をはじめると、インド綿布はイギリスで大流行しました。それまで主流であった毛織物と比べると、軽くてやわらかく、あたたかな綿織物は人気になるのも当然ですね。しかし、そうなると毛織物の業界は大変です。政府に頼んで綿織物の輸入をストップしてもらいました。まるでセーフガードのようですね。
ただ、需要があるなら産業が生まれるのは必須です。綿織物の輸入がダメなら、作ればいいじゃないか、とのことで綿を輸入し、自国で織り始めたのです。それでもやはり需要には追いつかない。なんとか改良して大量生産し売りさばきたい。皆が工夫し改良した、その時代が後に産業革命と呼ばれる様になったのです。
まずは織りを早くするために「シャトル(シャットル)」が生み出されました。織りが格段に早くなると、次は糸の生産が間に合わなくなってしまいました。糸車で一本ずつ糸をつむいでいては間に合わず、複数の糸を紡ぐ紡績機械が編み出されました。そして人力では大変なので水力を利用した機械へ。糸の大量生産が追いつくと織りが間に合わない、今後は蒸気機関を利用した力織機の発明へ。さらに綿花から繊維を繰り出すドラム式の綿繰り(わたくり)機の登場と、次々と生産ラインそれぞれで改良が進み、綿織物の大量生産が実現したのです。
一方で急速な都市化と工業化に労働環境整備や法令が追いつかず、過酷な児童労働が問題にもなった時代でした。また、世界的な綿花需要は、プランテーション栽培で世界の工場イギリスとの貿易を続けたいアメリカ南部と、保護貿易で自国産業を育成したい北部との対立、戦争の引き金にもなりました。普段特に気にすることも無く使っているタオルなどの綿織物、その発展の歴史が教科書で習った歴史と密接につがっていて面白いですね。