今治の面する海域は美しい眺めを持つ一方で急流で難所が多く、渦の多い海路となっています。古くは中世の時代、この海域一帯は村上水軍(むらかみすいぐん)の拠点となっていました。
村上家の起源は不明ですが、もともとは一つの家であったといわれ、後に能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家に分かれます。
数々の武勇伝で知られる村上水軍の拠点は、海上交通の要衝となる海域に築かれており、当時は複数の城が存在しました。
1588年(天正16年)に豊臣秀吉が海賊停止令を出すと、村上水軍は従来の活動が困難となり、海賊衆としての活動から撤退することになります。三家のうち、因島村上氏と能島村上氏は、この後も瀬戸内海を行き来する交易船の水先案内人などを務めています。
こうしたことで、国外と今治の情報や産物が集まる環境整備が整うようになったのです。
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