日本は世界有数の造船国であり、今治市は国内全体の30%に及ぶシェアを誇っています。今治市内には造船関連の会社が数多く存在し、造船業に携わる人は1万人になるともいわれています。そんな大型船舶の出入り口となる今治港は綿花輸入の玄関口にもなっています。
今治港の整備が進んだ大正時代、移入品の多くは綿糸や綿花でした。また、伊予ネルの創始者「矢野七三郎」や今治タオルの創始者「安部平助」らの活躍により、織物産業が活発化して綿ネルの移出品も多くなっていました。
また、大正の初め~中期にかけて、先晒しタオルを成功させた中村忠左衛門やジャカード織機を導入した菅原利鑅(としはる)らの活躍により今治タオルの生産量が飛躍的に向上しました。
時代は昭和に変わり、太平洋戦争の影響により一時的に今治タオルの生産も低下しましたが、昭和50年頃から高性能の機械が次々に導入され、再びタオルの生産数を増大させることに成功しました。
そして現在の平成になり、佐藤可士和氏による今治タオルブランドマーク&ロゴ作成やタオルソムリエ資格試験などが導入され、新しい取り組みが始まっております。
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